レッツエンジョイしゃぎりとは?



 2004年にレッツエンジョイしゃぎりは、「市民1人に、摺り鉦1個」のスローガンの下、社団法人三島青年会議所の一事業として産声をあげました。設立時の会員数は約60人。練習は沢地小学校の体育館で行っていました。7年間の活動でレッツエンジョイしゃぎりに携わった人数は200人を超えます。また、そのうち約20人が、レッツエンジョイしゃぎりを通じて、保存会やしゃぎり団体などに所属しています。今以上の人口の増加、またしゃぎりを通じて県内外や世界への三島市のPRなどを考え、平成24年7月に「特定非営利活動法人Let's enjoy しゃぎり」を設立しました。

現在は、三島北小学校のご協力を得て、一年を通して練習をしております。年齢性別、国籍、居住地域を一切問わず、どなたでも参加していただくことができます。ご家族や、兄弟、友人同士で参加されている方もたくさんおります。 皆様も是非ご参加ください。

練 習 日:毎週火曜日・金曜日

練習時間:19:00~20:30(片付後解散20:45)

練習場所:三島市立北小学校(下記参照)



★三島囃子(しゃぎり)の歴史

 

三島囃子の伝来


三島囃子調査報告書(以下報告書)によると、次の通りである。
三島囃子は、天文(てんぶん)年間(1532~1554)三嶋大社の舞舞役であった幸若與惣太夫によって創曲され、神領内に住む若者たちに伝えられたものといわれている。
当時の神領は、三島宿周辺だけでも、大場(だいば)・梅名(うめな)・御園(みその)・柿田(かきた)・玉川(たまがわ)・中(なか)・谷田(やた)・川原ヶ谷(かわらがや)・一丁田(いっちょうだ)・土狩(とがり)の十部落に及んでいた。元来、祭り囃子は田植えの行事に添える鳴り物(田舎囃子)から起こったとの説もあるが、当初から庶民の祭り囃子として発生したものもあるようだ。江戸時代になって、歌舞伎囃子が変形して伝えられたもの、葛西囃子の流布したもの、更に又、椿井流御家人囃子に歌舞伎囃子を調和したものなど、今日では、正しい発生の経路や流派の伝来を究めるにすこぶる困難となった。
三島囃子は、従来、単なる江戸囃子系の亜流と考えられていた。然るに関東地方はいうまでもなく、東海、関西地方における祭り囃子との比較研究の結果は、全く独創的な祭り囃子であることが判明した。シャギリの音調はあくまでも高く勇壮活発で山神霊(やまみたま)をなぐさめるにふさわしい<野性的なスピード感にあふれている。三嶋大社が往古から大山祇命を祀り、日本総鎮守として四民崇敬の的であったことに思いを馳せる時、この囃子が大明神の祭りに因んで創曲されたことが理解される。現在では、「三島囃子」とは「お囃子」と「しゃぎり」の両方を含めた総称になっている。ところが、歴史的には、初めに「お囃子」だけがあり、後になって「しゃぎり」が作られたので、本来の三島囃子は「お囃子」だけである。三嶋大社の歴代宮司家である矢田部(やたべ)家の古文書に三島囃子のことを記録したものが二つある。いわゆる『矢田部文書』と『矢田部日記』である。簡素な記録であるが、いずれも三島囃子の由来を知るのに極めて貴重な手がかりとなる唯一の資料である。


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